スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

S「アジアの月(二)と太陽(一)」S

  • 2011/04/12(火) 21:00:09

確か日月神示では「日=数字の一」「月=数字の二」で表してたと思います。
(ググッてみたらそんな感じでした)
それをアジアに描いてみました。
以前の魔方陣を組みわせた 単なる合わせ技なんですが。
TWIST 伊勢・鹿島|ソウル・ピョンヤン/紫禁城 EQUAL
くるくる「カレー・ラーメン・セントラルと大三角形+2008/8/8」

インド紫禁城内宮
北京の紫禁城から
―伊勢内宮      1899.564902km
―インド大統領官邸 3785.763809km 
比率は「 1 : 1.99296…」
紫禁城を基点にすると「太陽=一」「月=二」の位置に
「ニッポン」と「インド」が存在するようです。
勝手な思い込みで中国を月の国だと思ってましたが、

・一般的なイメージでは「インド=月の国」のようです。
霊界物語でも月の国と表されていたと思います。
「天竺月氏」って言葉も存在するそうで、
一部の宗派(日蓮宗系?)でも天竺(インド)は月の国って考えているみたいです。

・国旗の日の丸が太陽を表し「日本」って名称を持つ
ニッポンは「太陽の国」を自称してますし、
「Rising Sun」ってイメージは世界中に広まってるようです。

数字の「一・二」が「日・月」に変換できるなら、
アジアの地図上でそれが成り立ってるようですが、
最初に紹介した魔方陣を見ればわかるように、
どちらのラインも中点がアジア諸国の首都、政府機関に関係してるって共通点があります。
伊勢内宮は「太陽の神社」なんで「一」にふさわしいとしても、
ほとんどのポイントが政府機関なのに、
ニッポンだけ宗教施設なのはおかしな話ですが…

日本の最高政府機関を選べば国会議事堂かもしれませんが、
権威のトップはやはり皇居の「御所」だと思います。
(インド大統領も形式的・象徴的な存在であり、紫禁城は主・あるじ自体がいません)
御所ではありませんが480m離れた「明治宮殿」(現在の新宮殿)と
紫禁城を結んだラインは以前の「JMCT魔方陣」に出てきました。
明治宮殿―紫禁城 2103.960219kmで
「明治宮殿ライン : インドライン」は「 5 : 8.9968…」の比率です。
ちなみに御所ラインだと「 5 : 8.9988…」
国会議事堂ラインでも「5 : 8.9986…」ほぼ同じ比率になります。
これらは近接してるので当然の結果ですが、
日本の首都の中心部が「5:9」って比率を持ってるようです。
インド紫禁城新宮殿
かなり正確な一桁の比率ですが、
「1:2」に比べると「5」と「9」って数字はなんかビミョーな感じです。

かなり正確な「1:2」「5:9」なので、
自動的に伊勢ライン : 明治宮殿ラインは、
「9:10」にほぼ等しくなるはずです。
計算すると「9 : 9.9684…」 (「9.9684…」と「10」の誤差0.317…%)となったので、
やはり「9:10」を意識したような比率でした。
これにJMCT魔方陣のラインを加えるとこんな感じです。
東京伊勢台湾紫禁城満州

日台のラインに伊勢が乗ってるように見えますが、
実際は20kmほど離れています。
東京伊勢拡大台湾紫禁城
「1:2」ほどのインパクトも無いし、
いくら正確でも「9:10」って比率はリアリティ湧きにくいですね。
戦前はこんな比率も成り立ってたみたいです。
イチオウこんなのもありましたって事で。

中国から見るとまさに「ニッポンは日いずる国」だったみたいですが、
なんか解せない感じです。
インドの首都決定も自発的じゃなくイギリスの命令だったので、
イギリスのせいで(おかげで)出来上がったみたいなもんです。
(カレー・ラーメン・セントラルも同じです)
イギリスに侵略されなくても
ここらあたりが21世紀の今でも首都である可能性はあったのか、
僕の知識ではわかりませんが。

そういえば日韓中ラインも「1:2」が当てはまりますが、
日本からみると「韓国は太陽の国、中国は月の国」
中国だと「韓国は太陽の、日本は月の国」と言われても今ひとつピンと来ません。
なんかシックリきませんが、
プラス思考でとらえて中国基点じゃなく「ニッポン発」と考えれば
倍々ゲームで「一二!一二!」とアジアへラインが伸びていくわけなんで、
「アジアの連携はニッポンからスタート」って事になるのかもしれません。

       「1 2!」 アジアの行進 「一 二!」

内宮紫禁城インド12小

スポンサーサイト
  • テーマ:

  • -
  • ジャンル:

M「唐松・新勝寺・京のミヤコ」M

  • 2010/07/25(日) 23:50:18

唐松真南ライン.jpg

このブログのレギュラーであらせられる「唐松神社」
ここから真南にラインを下ろしてみました。
まさに真南にあったのは「成田山新勝寺」でした。
唐松真南ライン拡大.jpg
まるで大本堂を目指してるようなラインです。
唐松神社→新勝寺の方位角「180°00′04.89″」(180.00136…度) 
400km以上離れている2つが驚くほど正確に南北に並んでます。
※これまで唐松神社は現在の天日宮ではなく、
約400m離れた唐松岳山頂の奥宮にポイントしてきました。
延宝8年(1680)まで、ここに神社本体があったそうですが、
藩主の命令で(むりやり?)現在地に移動させられたそうなので、
鎮座地として選択されたのは山頂の方だと思えたからです※


現在の天日宮の真南にも成田山公園があり、
新勝寺のHPを見ると、ここも境内の一部みたいなので、
新旧の唐松神社とも成田山と南北関係にあるようです。
成田山境内.jpg

新勝寺は最初(940年)からあそこにあったと思ってましたが、
何度か移動した可能性もあるらしいです。
さらっと調べましたが、説が色々あって混乱します。
下総国公津ケ原から
千葉県並木町の不動塚へ移動(1566年頃)
現在地には(1705年) あるいは天文年間(1532~55年)か、それ以前に移転??
でも公式HPを読むとずっと移動してないようにも取れます。
新勝寺移動の歴史はハッキリしませんが、
ここに移ってきてからの履歴は判ってるようです。
現在の「光明堂」が1701~安政年間1858年?
「釈迦堂」が1858~1964年に本堂として使われた建物ですが、
調べてみるとふたつとも移設してるようなので、
現在、本堂がある位置が、
江戸時代からずっと新勝寺の中心になるポイントだったと考えられます。
だとすれば物部系神社の 隠れた“要”の真南に、
わざわざ新勝寺が引っ越してきた事になります。
これまで正確な南北関係は「北=王者」「南=チャレンジャー」と考えてきました。
また徳川のバックに物部がいたような推察もしてました。
もし江戸時代に現在地に移動したなら、
幕府がそんな移動を許したのはちょっとおかしな話になります。
(この推察が正しいって前提ですが、笑) 



もうひとつ二等辺魔方陣のようなものも。
新勝寺唐松京二等辺三角形.jpg
新勝寺を頂角にして唐松神社と京都方面が、
二等辺三角形になるようです。
ひとつ大きな問題は、
新勝寺の「不動明王」は京からの使者ですが、
「物部系神社」と「京のミヤコ」のバランスを取るのに、
ふさわしい存在なのか疑問です。
今回はこの上なく正確な南北に並んでることを重要視して
祭神・本尊とかの問題はちょっと置いといて、
いろいろ調べてみます。

唐松同距離京.jpg
誤差ゼロの二等辺になるのが赤いアイコンたちです。
北野天満宮なんかも近いですが、
境内の内側にアイコンが来るのは「西本願寺」です。
西本願寺拡大.jpg

家康の作戦で東西の本願寺に分かれたと言われていますが、
上記のWikiによれば西本願寺も家康の寄進によって現在地にやってきたそうです。
ちょっと面白いのが、ここにある「唐門」も“日暮門”と呼ばれてるらしいです。
こう呼ばれる門は珍しくないみたいですが、
やはり徳川の日光東照宮を連想してしまいます。

徳川といえば二条城もアイコンを意識してるような位置にあります。
大内裏二条城拡大.jpg
さっき書いたように「徳川のバックに物部あり?」と推察してきたので、
京のミヤコでの徳川の陣地が物部氏と釣り合ってるのも、
なかなか面白いような。
さらに最初に京都の中心が置かれたのがこのあたりで、
二条城も最初の大内裏と一部重なっています。
南北朝のゴタゴタで1331年頃、現在の京都御所に引っ越したそうです。
おそらく京都の寺社はそれ以前に建立してるものがほとんどで、
京の寺社が魔方陣的に守ってる御所(内裏)は最初の方って可能性は高いと思います。
赤いアイコンは最初の大内裏を横切るようにポイントされてます。
すでに江戸時代には存在しなかったとしても、
“魔方陣の”大内裏と物部氏が釣り合うってことがあるのかも。
大内裏二条城超拡大.jpg



京都と新勝寺と言えば、以前の魔方陣「将門ヘキサゴン」で出てきました。
神田明神を中心に六方向へラインを伸ばした魔方陣です。
今回のライン
「新勝寺」から「大極殿」「現 紫宸殿」「二条城」「西本願寺」ラインと、
将門ヘキサゴンの赤いラインを重ねてみると、
新勝寺神田明神拡大京.jpg
一番近いのは二条城ラインで100mぐらいのズレです。
京都に来るとこんな感じです。
新勝寺神田明神拡大京拡大.jpg

ライン全体が見えるくらい俯瞰すれば「新勝寺-京ライン」に神田明神が乗ってるみたいです。
新勝寺神田明神京俯瞰.jpg
①神田明神の赤いラインは深大寺や大宮八幡宮もかすめるので、
そっちの二寺社が本命で、延長線にシンボリックに京のミヤコがある。
②赤ラインは方位角のラインなので角度的に見ると
「大極殿」「現 紫宸殿」「二条城」も許容範囲と言える。
①と②、どっちがあってるのか(どっちとも間違ってるのか、笑)

神田明神より今回のラインに近い位置にあったのが、
「東京スカイツリー」です。
上下の藤色ラインは最初の大内裏北端・南端ライン
水色ラインは京都御苑北端・南端ラインです。
新勝寺スカイツリー拡大京.jpg
現在は存在しない大極殿のラインが、
タワーに一番近いのがなんか変な感じです。
目には見えないですが、やはり“魔方陣的には”存在してるんでしょうか?
大内裏ラインや京都御苑ラインにすっぽり包まれてスカイツリーが建っています。
タワーに付属してる建物もまるでラインの向きに合わせてるみたいです。
新勝寺とスカイツリーの延長線を京都まで伸ばすと、
軌跡は最初の大内裏、京都御苑を突っ切ります。
新勝寺→スカイツリー→京都の中心って
直線のラインも成り立ちそうです。
新勝寺スカイツリー俯瞰京俯瞰.jpg
だとすればスカイツリーが作動することによって、
京のミヤコと成田山新勝寺がさらに結びつく可能性がある?
しかし徳川の二条城もかなりスカイツリーラインに近くて、
二等辺の誤差ゼロの赤いアイコンも二条城に引っかかってる状態なので、
徳川の遺構 二条城でも成り立つことにもなります。

新勝寺が京都サイドのポイントって前提で、
色々書いてきましたが、
以前の魔方陣「くにたまほんがんじランド」では、
ホントは物部系と言われる香取神宮→新勝寺→ランドマークタワーという
かなり正確なラインがありました。
ランドマークタワーは三菱系列のビルですが、
このブログ内では三菱も物部と関係ある?って推察もしています。
(なんでもかんでも物部と結び付けてるみたいですが、そんな事は無いんです…)
以前からなんとなく感じてたんですが、
新勝寺が征伐しようとしてた東夷の中には、
東国に逃れた物部系列の人は入ってなかったんでしょうか?
そんな敵対してたはずのポイントを、
長い時間をかけて自分たちのカラーに塗り変えていく。
なんて事が一種の長期計画として行われてたりして…?
そんなありえない妄想も個人のブログなんで好き勝手に書き殴れます(笑)

なんだか話がまとまらなくなりましたが、
簡単にいえば、
唐松神社と新勝寺は超正確に南北に並んでで、
唐松神社と京都の西本願寺・二条城・最初の大内裏が、
新勝寺を頂角にした二等辺魔方陣を作れるかも?って推察です。
南北ラインの方は意図的に思えますが、
“意味”が今ひとつ読み取れませんでした。
江戸開幕しちゃって、征夷大将軍の徳川政権ができましたが、
征夷大将軍と言っても名ばかりで、別に東夷征伐はしてませんでした。
とてもおかしな発想ですが、
征夷大将軍がいる場所は東夷がいっぱいいるはずです。
(豊臣の「関白」と対称かもしれません)
そんな徳川将軍家が作った江戸って場所(縄張り)は、
京よりも東夷サイドに傾いたミヤコと考える事も可能なんじゃないかと…
「とうとう東夷の(近所に)ミヤコが出来ちゃいました」
と強引に仮定すれば、
東夷成敗って大義名分が消えてしまったうえに、
江戸の目と鼻の先にあった新勝寺は、
知らず知らずのうちに徳川(物部)に取り込まれてたとか…?
やっぱりありえないですよね。

  • テーマ:

  • -
  • ジャンル:

S「ヒラリーからヒコーキへ」S

  • 2010/06/02(水) 21:00:25

第1ブログ「TWIST&EQUALビフォーアフター」から引越してきました。
一度読んだ方は間違って読みませんように

「なんとかの井戸」とか全く話題になってない頃、
2009年2月にアメリカのヒラリー国務長官が明治神宮に参拝に行きました。
なんとかスポット巡りしてたわけじゃないと思いますが、
8月には就任したばかりのジョン・ルース駐日大使も同じく参拝します。
ベターと言うよりいかにも「ベタ」なチョイスですが、
もし東京で神社に行くなら、やっぱり明治神宮なんでしょうね。
珍しい事だったのでわざわざテレビで報道したんでしょうか。
なんだか印象に残る出来事でした。

そんな参拝を魔方陣を使って解いてみました(かなり妄想チックに、笑)
そこから日本の飛行機まで繋がる魔方陣が見えてきたような、こないような

ホワイトハウスと結んでもよくわかりませんでしたが、
港区のアメリカ大使館と明治神宮本殿を結んで、ラインを延長させると
アメリカ大使館明治神宮横田基地.jpg
「横田基地」がありました。
横田基地はとても広大なので、
寺社などに比べれば一直線になる確率は大きいです。
アメリカ大使館明治神宮横田基地拡大.jpg
水色ラインは「大使館→明治神宮本殿の延長線」
青いラインは基地の北端・南端と大使館を結んだものです。
現実に3つは一直線上にあり、
ヒラリーとアメリカ大使が明治神宮に参拝した事で、
直線魔方陣は成立しています。
妄想チックな想像ですが、
アメリカの要人が明治神宮を参拝するって事は、
横田基地に関してヒミツの「メッセージ」になるんじゃないか?
なんて思ってしまいました。
明治天皇は「軍人」のイメージですが、
「鎖国を解除した」って一面もあったりします。
もし魔方陣が存在するなら、
単なる参拝が横田基地をアメリカサイドに傾ける事にもなるのかも。
その当時、横田基地が問題になってたか知りませんが、
なにかウラの出来事があったのかな?



そのラインをもっと延長させると諏訪方面に伸びていきます。
アメリカ大使館明治神宮横田基地諏訪大社.jpg
「アメリカ大使館―明治神宮?―横田基地―諏訪大社」の
緑ラインもイチオウ引けますが、
明治神宮ほど意識的な感じがしないので、
偶然、延長線に諏訪があったように思います。
拡大図
明治神宮横田基地諏訪ライン.jpg


ここでアメリカ大使館はちょっと置いといて、
諏訪大社と横田基地を関連付けてみました。
横田頂角ライン俯瞰拡大.jpg
赤いラインは「諏訪大社・鹿島神宮頂角ライン」です。
このライン上のものは諏訪からも鹿島からも同距離になり、
二等辺三角形の頂角になります。
ほとんど基地スレスレに走っています。
最もラインに近いのは「基地」というより「宿舎」だと思いますが、
ラインに首を伸ばすように敷地が広がっています。
横田基地中央あたりから
→諏訪大社 114.535197km
→鹿島神宮 118.450670km 誤差3.419…%
なんかかなりの誤差ですが、
諏訪・鹿島の神は日本を代表する武神であり、
色んな意味でバランスが取れる存在です。
横田基地は現在は米軍基地ですが、
もともとここは「多摩飛行場」でした。
旧帝国陸軍「立川飛行場」の“付属”みたい扱いでしたが、
もちろん日本軍の基地でした。
ちなみに立川だと誤差4.776…%で、
地図では二つの間に頂角があります。強引なあわせ技ですが、
多摩(横田)を諏訪寄りに、立川を鹿島寄りにする事で、
対立の最前線(頂角ライン)に触れることなく、
二大武神(+明治天皇)と結びつこうとしていたのかも?なんて思いました。

諏訪大社・鹿島神宮頂角ラインは、
北は新潟 南は相模川の河口付近へ抜けていきます。
諏訪鹿島十字.jpg
実際の赤いラインは0.8度くらい南北軸からズレていますが、
ラインがギザギザで汚くなるので、傾けて垂直なラインにしました。
上下のピンクアイコンを結ぶと正確な南北ラインです。
※諏訪と鹿島を結んだ緑のラインと、
赤ラインが交差するポイントは「諏訪鹿島セントラル」になりますが、
「東京電機大学 鳩山キャンパス」の隣りにあります。
なんかタイムリーな名前ですね(笑) ここら辺の地名らしいです。
(こっそり軍事機密を扱ってるとか無いですよね?)
諏訪鹿島セントラル.jpg
そう言えば日光東照宮と鶴岡八幡宮がほぼ南北なのは有名ですが、
二つを結んだラインと緑ラインの交差ポイントの隣りに、
サイクル大小.jpg
ブリヂストンサイクルの本社があったりします。
もうひとつのピジョンポイント? ※


唯一興味を引かれたのが、群馬県の太田市付近です。
富士重工業の群馬製作所本工場がラインに引っかかってありました。
大泉工場 矢島工場 太田北工場もラインの近くに集まっています。
富士重工業頂角ライン.jpg
現在は自動車メーカーですが、前身は「中島飛行機」
中島飛行機の生産工場だった「太田製作所」が現在の本工場
「太田飛行場」は大泉工場になりました。
太平洋戦争終結までは三菱重工業を凌ぐ
東洋最大、世界有数の航空機メーカーだったとWikiにはありました。
偶然、ここが創業者の出身地で、
偶然、世界有数のメーカーになったのかもしれませんが、
このあたりも二大武神の頂角に位置してたようです。
(アメリカの国力を知っていた創業者は日米開戦に消極的だったそうですが)

地図を見てると4つの工場が何かを取り囲んでるような気がしてきました。
(なんかアブナイ人みたいですね、笑)
中島飛行機から「富士重工業」へ改名したので、
もしかしたらと思ったら、その通りの結果になりました。
富士・鹿島・諏訪頂角ポイント.jpg
地図上の白いポイントは、
諏訪・鹿島だけでなく「諏訪・富士」「鹿島・富士」の頂角になります。
つまり富士・鹿島・諏訪から同距離になる唯一のポイントです。
(実際は地球の裏側にもありますけど)
富士・鹿島・諏訪頂角ポイント俯瞰.jpg
そんなポイントが工場群の真ん中にあるようです。
(このブログ内だけの話ですが)
大企業がこっそり魔方陣を使ってるような気配を感じていたので、
これもそうかなと思ったんですが…どうなんでしょうか

富士山と鹿島と言えば「鹿島―明治神宮―富士山ライン」が有名ですが、
今回の白いアイコンを加えると、
(計算上は)完璧な二等辺三角形の垂線が、
まるで明治神宮へ向かって下りてきてるみたいです。
頂角富士鹿島明治神宮俯瞰拡大.jpg
ラインにぶつかるポイントは2.1kmも離れてますが、
なんとなく明治神宮を意識してるようにも見えます。
富士鹿島ラインのほぼ真ん中にあるのは間違いないみたいです。

巡り巡って明治神宮に戻ってきましたが、
今回は偶然のオンパレードに思われそうです…
でも何かあるように感じたので色々探してみました。
赤い頂角ラインに関して言えば
「引っかかってる」とか「近くにある」がほとんどでした。
(ラインが全くの妄想じゃないとすれば)
なんでラインの真上に作らなかったのかな?と思いましたが、
「諏訪×鹿島」「鹿島×諏訪」という
日本でも有数の対立関係の頂角には、
「人間は立てないのかもな」と都合よく解釈したりしました。

最後に富士・鹿島・諏訪の白い頂角アイコンを超拡大
Googlemapの画像です。
富士・鹿島・諏訪頂角ポイント超拡大.jpg
緑の矢印がそのポイントですが、
目と鼻の先に富士じゃなくて「三菱重工」を発見!
戦後まで「三菱重工業を凌いでいた」企業の城下町で、
富士・鹿島・諏訪の頂角の一番近くに存在してたようです。
なんかリベンジしてるみたいで面白いなと思いました。
(ついさっき「人間は立てない」とか書いてたのに、
正反対のことを書いてますね…なんかトンチンカンで申し訳ないです)
「富士・鹿島・諏訪」の頂角 「富士重工」の中央に「三菱重工」?
富士・鹿島・諏訪頂角ポイント三菱.jpg
 
ヒラリー・ヒコーキというより、日本軍が魔方陣によって、
諏訪・鹿島の神と結びこうとしてたんじゃないか?
って仮説を立ててみたんですが、どうなんでしょうか。
中島飛行機の方も元軍人の方が創業者なので、
単なる故郷での起業じゃなくて、何かの配慮が有るのかなと思ったんですが。
戦時中は多摩飛行場(横田基地)よりも重要な位置にあった
「立川飛行場」ですが、Wikiを読んだら、
もともとはこっちに米軍基地があったのに上手いこと追い出したようです。
って事は、立川飛行場の方が重要な魔方陣を隠してる気もします。
今回は他の日本軍ポイントとも関連付けようとしたんですが、
全く、全く知識がないのに気づきました。
ネットで探しましたがよくわかりませんでした。
しかし、もともと軍国主義を永続させるつもりが無くて、
現在のまったりした日本が規定路線だったとしたら、
大規模な魔方陣はもともと存在しないのかもしれません。
(って、またまたさっきと正反対の発言、笑)

  • テーマ:

  • -
  • ジャンル:

M「くにたまほんがんじランド」M

  • 2010/03/22(月) 21:37:29

なんだか評判が良いようなので第一ブログにも同じ記事を載せました。

築地本願寺の真西にある神社がありました。
「大國魂神社」です。

築地大國魂東西ライン.jpg
Wikiによれば武蔵国の「総社」で六社を合祀しており
特に格式の高い「東京五社」の一つだそうです。
寺社はあちこちにあるので単なる偶然かもしれませんが、
ちょっくら調べてみました。
二つを拡大
同緯度アイコン東西ライン築地大國魂.jpg
2つの緯度は「35°39'59.36"」「35°40'2.50"」
差は「00°00'03.14"」距離的には約100mズレです。
(2つは26.6km離れている)
オレンジラインは大國魂神社から90度になるライン
大國魂神社の正確な「真東ライン」になります。
青いラインは築地本願寺から270度になる「真西ライン」です。
黄色い同緯度アイコンよりオレンジラインの方が内側に走っています。
浅草近くから引越してきた本願寺ですが、
この位置に決めた(幕府に決められた)のは同緯度よりも、
「大國魂神社の真東」を意図しての事だったしれません。
江戸時代には本堂がもっと巨大だったそうなので、
真東ラインに本願寺が引っかかってたかもしれません。

次に誤差0.74%の二等辺魔方陣です。
氷川築地大國魂776.jpg
氷川大社から
→大國魂神社 30.858617km
→築地本願寺 30.631539km
これに大國魂神社-築地本願寺 26.554421kmを加えると
三つの比率は「 6.9725… : 6.9212… : 6 」
ほぼ「7:7:6」になっています。

氷川大社は頂角(てっぺん)に位置することになります。
さらに底辺の2つがほぼ同緯度なので、
頂角はかなり正確に真北を向くことになります。
勝手な持論で
「頂角とその他の角は上下関係がある」
と思っているんですが、今回はさらに、
「真北を向いている」「7:7:6」と
かなり計算された配置になっています。
「氷川大社>今回の2寺院を完全に成り立たせたい」
そんな意志を感じるような。

こんな想像(妄想)が浮かんだのは二つの神社の“履歴”のためです。
現在は武蔵一宮を名乗っている氷川大社ですが、
武蔵国の総社である“大國魂神社”では三之宮に祭られています。
この事から氷川大社は武蔵三宮から一宮へ
ランクアップしたんじゃないか?って説もあるそうです。
その氷川大社も本願寺があそこに出来たおかげで、
武蔵の総社である大國魂神社を従えてるような関係です。
「これで名実ともに武蔵一宮になれた」?

さらに大國魂神社の境内地はもともと武蔵国の国府だったそうです。
すでに国府は無くなったとしても、この神社が
「西の朝廷の権威を象徴してるポイント」と、
もしも見なされれば、
東の武家政権である徳川が
魔方陣的に氷川を持ち上げる事で、
自動的に大國魂神社の格下げを目論む事は、
ありえるんじゃないかと

本願寺と大國魂神社の関係はよくわかりませんが、
本願寺と「國魂」は関係あるような無いような…
「石山本願寺」は現在の大阪城の位置にありましたが、
もともとそこにあったのは「生國魂神社」という神社でした。
その神社をわざわざ隣にどかして、
そこに本願寺の本堂を建立したと言われています。
とてもアヤシゲな行為をしてますよね。
名前は似てますが「生國魂神社」と「大國魂神社」は、
祭神も違うので全くの同系列とは言えません。
神社の移設もそのポイントが色んな意味で
良さそうな位置だったから、それだけかもしれません。
しかし「国魂信仰」というものがあるのを知りました。
「土地」ってモノに強く関係ある信仰のようです。
神社名の「國魂」が「国魂信仰」に繋がる可能性が全く無いとは言えません。
もしかしたら本願寺は“国魂”に強い興味を持ってるのかもしれません。
それを直接的な行動で表わしたのが、土地を乗っとった「石山本願寺」?
魔方陣的に表わしたのが、真東に建てた「築地本願寺」??



先に石山本願寺の件を知っていたので、
築地・大国魂神社のラインも
なんかあるのかな?と調べ始めたんですが、
なんかあるんでしょうか。

次に氷川大社の真南ラインです。
出てきたのは全然関係なさそうな超高層ポイントですが。

氷川真南ラインランドマーク拡大.jpg
ラインは隣にある横浜銀行ビルのスレスレを走ってます。
でもホントはランドマークタワーを真南に建てたかった?
とか思ったりしましたが、
他の2つを絡めてみたら面白げな数字が。
ランドマークタワーから
→大國魂神社 27.347447km
→築地本願寺 26.743784km
これに大國魂神社-築地本願寺ラインの
26.554421kmを加えると、
「ランドマーク・築地・大國魂」は、
最大誤差2.986…%の正三角形を描くようです。
(約3%も誤差があるのに「正三角形!」というのも図々しいですが)
正確な正三角形になるポイントはタワーから830mも離れています。
地図で見るとかなり向こうにあるように見えますね…
築地大國魂正三角形.jpg

大國魂神社-築地本願寺ラインは比率を持ってました。
「7:7:6」の「6」です。
さっきの二辺を加えてみると、
「 6 : 6.179… : 6.043… 」

「6.179…」と「6」はさっきの2.986…%の誤差
「6.043…」と「6」の方は0.713…%の小さめの誤差です。
築地・大國魂に氷川大社も加えた
「 7 : 7 : 6 : 6?: 6」
なんて比率は存在するのか!?

氷川大國魂築地ランドマーク7766?6.jpg



ラストは偶然っぽいヤツ

「築地本願寺・氷川大社・大國魂神社」の角度は
「51°10′06.14″」あります。
氷川-築地ラインを軸にして東側に同じ角度になるように
ラインを引いてみたら、
成田山新勝寺がこんな位置に

氷川新勝寺拡大大國魂テンビン.jpg
と言ってもラインから1.07kmも離れていますが。
「築地・氷川・新勝寺」の角度は「52°07′58.59″」で
誤差は1.885…% 思ったより小さいですが、
だからと言って新勝寺が関係あるのか確定は出来ません。
それぞれの履歴を考えれば、
「東国」の武将 平将門を調伏するために
「西」が建てたのが新勝寺ですから、
国府跡にある大國魂神社と釣り合ってるような、無いような…
ちょっと無理めな説ですね。

ここで新勝寺と大國魂神社を結んでみたら
本願寺の一部がラインに引っかかるようにありました。
築地じゃなく「東京本願寺」ですが

大國魂東京本願寺新勝寺.jpg
「大國魂神社-東京本願寺-新勝寺」は一直線みたいです。
拡大すると、
大國魂東京本願寺新勝寺拡大.jpg
緑のラインが新勝寺→大國魂神社の方位角と同じ
「260°24′18.86″ライン」です。
築地と東京本願寺は宗派争いで分かれていますが、
もちろんどちらも本願寺です。
さっきのテンビンはビミョウでしたが、こっちの直線はかなり正確です。
強引な合わせ技で「新勝寺・本願寺・大國魂神社」は、
何らかのつながりとかあるんでしょうか。



最後ついでにランドマークタワーと新勝寺を繋いだんですが、
芋づる式、というより話が別の方向に行っちゃったような。

ラインの延長線にこんなポイントがありました。
ランド新勝寺香取.jpg

拡大してみても、
94kmも離れた香取神宮の本殿そのものを目指してるみたいです。
ランド新勝寺香取拡大.jpg

これに「ランドマークタワー中央あたり→香取神宮本殿」を結んだエメラルドライン
「香取本殿→新勝寺中央あたり→」のピンクラインを加えると、

エメラルドは新勝寺の中央をかすめるように
ランド新勝寺拡大香取拡大三ライン.jpg

ピンクラインもタワーに突っ込むかたちで伸びています。
ランド拡大新勝寺香取三ライン斜め.jpg

世間の常識ではありえないでしょうが、
(このブログ内では)ランドマークタワーは、
「香取神宮→新勝寺」ラインを意識して建てられたようです。
香取神宮と新勝寺
同じ県にある・勇ましいイメージくらいで、
共通点はあまり見当たりません。
それに香取神宮は(本当は)物部系と言われています。
「東夷征伐的側面のあるお寺」
「東国に活路を見出そうとした一族系統の神社」
勝手な思い込みですがあんまり相性良くないような…
残るランドマークタワーですが“三菱”地所の所有で、
もともと三菱重工の造船所のあった土地でした。
「三菱」と「物部」
このブログ的には全く関係ない二つですね(笑)
さらにライン上を詳しく見ると
幕張新都心を横切っていました。
ランド新勝寺香取三ライン幕張メッセ拡大.jpg
この都市も、ランドマークのある「みなとみらい」も
湾岸にあってちょうど東京湾をまたぐように存在してますが…
このラインを補強するため?それともやっぱり全くの偶然?
ランド新勝寺香取三ライン幕張メッセ.jpg

今回、特に興味を引かれたのは
「本願寺」と「国魂」の関係です。
ふたつは宗教的に結びつくんでしょうか?
残念ながら宗教の教義方面は詳しくありませんので、
そっちは置いといて、
大まかにポイントの歴史を見ると、
石山本願寺の跡地は豊臣の大阪城になり、
築地本願寺は徳川幕府の命令で、
もともと海上だった場所を埋め立てて、
そこに建立したそうです。

二つの動きを見ていると、
「国魂」と「最高権力」の間に挟まってるのが
「本願寺」って存在なのかな?って考えも浮かんだりします。

  • テーマ:

  • -
  • ジャンル:

S 「玉置神社籠神社二等辺」 S

  • 2009/10/02(金) 22:43:59

お久しぶりの第3ブログ…(笑)
魔方陣をデータバンクに閉じ込めます。

玉置神社&籠神社と二等辺を作り、その頂角になるポイントです。
ムラサキのライン上にあれば頂角になります。
玉置籠頂角ライン俯瞰.jpg

「錦之宮」
北側160mにラインが走ってます。
玉置籠頂角ライン錦之宮拡大.jpg
錦之宮から
→籠神社   136.367752km 方位角298°09′13.48″
→玉置神社 136.142198km 方位角208°01′44.68″
誤差0.1657…%の二等辺です。
さらに「籠・錦之宮・玉置」の角度は「90°07′28.80″」
10進法で90.125…度 ほぼ直角です。
二等辺は二等辺でも“直角”二等辺三角形なのが珍しいと思います。
二つの神社は錦之宮ってより、その前段階の「大本」にとても関係深いです。
(「国常立尊」は玉置神社の祭神 籠神社の奥宮と言われるのが「冠島・沓島」)
錦玉置籠直角二等辺.jpg


もうひとつは「鹿島神宮」です。南側約870mにライン。
玉置籠頂角ライン鹿島拡大.jpg
鹿島神宮から
→玉置神社 493.546658km
→籠神社  493.203732km 誤差0.0695…% 
ひとつ面白い発見がありました。
武蔵一ノ宮「氷川大社」がこんな位置に
鹿島玉置籠氷川二等辺.jpg

氷川大社の大きな楼門の内側をラインが通っているので、
籠鹿島ライン氷川拡大.jpg
「籠神社→氷川大社→鹿島神宮」は一直線と考えて良いと思います。
氷川の語源は出雲の斐の川らしいですが、
物部系(海部?)や中臣系の神社と繋がるのか?
ただ鹿島神宮が中臣系って単純に考えていいのか、それも微妙ですよね。
伊勢地方出身だったら伊勢神宮はその人物のものなのか?って話ですから。
今までの魔方陣的には、物部かそれに近い系列に見えてきます。

頂角ムラサキラインの西側はよくわかりませんでした。
鹿島玉置宇佐二等辺連結?.jpg
宇佐神宮がこの位置にありました。ただ誤差は0.8%ぐらいで小さいですが、
ラインから約7km離れています。意図的か判断しかねます。

まぁ第3ブログは魔方陣データバンクなんでこんな感じで終わります。

  • テーマ:

  • -
  • ジャンル:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。